覚えていますか●

今日の現代文の時間、人生の中で鮮明に残っている記憶は、というような話になった。
ほとんどの人が「特にありません」と答えるなか(現文の先生は答が出るまで当てる主義のよう)、小学校の修学旅行、と答える人がいたり、中学時代と答える人がいたり。
私は、と考えて、みんなで自転車でどこにでも行った小学生のころ、今も心にある深い傷を残した日のこと、とか。
鮮明に残る記憶って、特別な感情…恋のような…を抱いたときなんじゃないか、と思う。
何も感情を持たせなかった日は淡白で、いずれなかった日のように、消えてしまう。


人が生きた証というのは、どれだけ自分や他人に、感情を持たせられるか、だろうか。
史実に感情は関係ない。
かつては感情によりねじまげられた史実もあったが、今は出来るだけ校正に、客観的に、事実だけを記録される。
しかしそれを見るのは我々の主観で、史実を感情を持ち見ることには誰の制限も受けることはない。
人々の記憶に残るのは、感情をもって見られた人…。
そんな気がする。

私が感情を持って見る歴史上の人物はたくさんいる。子胥、和気清麻呂、ラス・カサスなんかもそう。
はっきり言って歴史の悲劇に巻き込まれた人々ばかり。
彼らは歴史の表舞台ではあまり目立たない存在である。しかし、私の主観は、感情は、彼らを記憶させた。


そういえば今日の「地球ドラマチック」では、戦争で活躍した伝書鳩について放送していました。
歴史の悲劇に巻き込まれたのは人間だけじゃ、ないですよね。
今も……………やるせないです。



…外で猫が鳴いている。