uni●

色んな事を思い出していた。
みんなと、それぞれはじめて会った日のこと。嬉しかった日のこと。恥ずかしくて今も思い出したくない日のこと。
いやな予感がする。
今日こそは今日こそはって、いつも機会を探しているのだけど、切り出せない。
そうしているうちに今日向こうから弱音を吐かれてしまった。先を越された。
でもきっとあの言葉も、今私が話しそびれている悩みのように、心の混沌の、ほんの氷山の一角だろう。
そこは真剣に受けとめなければいけないことだ。いくら自分の話を聞いてもらいたくとも、自分だけが特別という意識では駄目なのだ。
自分と同じように、他人にも心の内部には色んな思いが隠されているのだ…。それを、忘れてはいけない。
そして今日そんな氷山の一角を聞きながら思ったのだが、人の弱音や愚痴が語る部分は、ほとんどが因果応報なのではないかということだ。
何かが出来ないのは、出来なかったのは、それとも出来てしまったのは、自分に責任がないと本当に言えるのか。そう考えると、人の弱音や愚痴には自分の事を棚にあげた身勝手な発言があまりにも多い。
そしてそれを話す人間の大半は、その原因が自分にあると知りつつ、現実を直視し難い故に責任投下や現実逃避という行動を起こすのではあるまいか。
もちろん私もそうである。私も同じような話を、まさにその人に話そうとしていたのだ。
私は、まさに話そうとしていた人の発言によって自分の愚かさを知ることが出来たのだ。これは話を聞いてもらい自らを自らの中に得たことと同じではないか。
私は自分が悪くないことはいくら謝っても平気だが、自分が本当に悪いときに謝るのは苦手である。そういうひねくれた人間なのだ。
世の中には理不尽なことも多いが、同じように自業自得なことも多い。
世間に左右されることのない自己を確立したいものである。







どうも最後のあたり文章に一貫性がありませんが、疲れたので送ります(は)。
評論ぽい文は苦手です。こ難しくするのは好きだけど…(笑)