言葉は誰のものでもなく●

自分の言葉は自分の言葉で残しておきたい、と思うのは、傲慢でしょうか。
誰かの言葉は、私の心に共鳴し、私の言葉として放たれる。
それはきっと、私の言葉を借りた誰かの言葉で、私の言葉ではない。
それと同じで、私の言葉が誰かの心を共鳴させ、誰かの言葉として発信される。
そのとき、その言葉も、私のものであって欲しい。
そう思うのだけど、誰かの言葉として発せられた瞬間に、その人のものとして別の輝きを放ってしまうのは、何故だろう。
それがその人にある、元々の魅力なのだろうか。
言葉の所有者は誰か、と言われると、答えることは出来ないけれど、やはり、自分の言葉は自分のものであって欲しいと願ってしまう。